>>4 >>6 確かに、キューブリック作品は「後半が語られない」っていう傾向が強いよなw
「フルメタル・ジャケット」もそうだったな。ハートマンとの合宿シーンが人気だよな。
でも、時計仕掛けもフルメタルも、後半が重要なんだよな。
時計仕掛けは
「この世は善人と悪人に分かれてるのではなくて、弱者と強者で分かれてる」っていうメッセージがあった。
支配されてる側の善良な市民達が、善人とは限らない。資産家や政治家が悪人とは限らない。
酒に溺れて世の中を蔑み悲しんでたホームレスは、ただ単に「勝てなくて悲しんでた」だけ、みたいな。
「世の中に心を痛める聖人になったつもりでいないように」っていうメッセージだったと思うな。
自分が絶対的な善人、って考えてしまうと、通り魔や自殺が自分の中で正当化される恐れがあるからな。
(後、性欲や暴力に走ろうとしたら激痛を与えて道徳社会を作る、っていうのも考えさせられたな)
で、フルメタルジャケットは
「結局、愛国心で戦ってる兵隊はいませんよ?」っていう強烈なメッセージだったw
血気盛んな若者が戦地に行ってるだけだけど、戦いが好きだからこそ勝利を重ねたアメリカ。
キューブリックだけだよな、愛国心を感じない兵士達を描いた戦争映画を作った監督って。
社会を円滑にするタメには「道徳教育」が絶対的に必要なんだけど、
ソレには多くのデメリットが生み出されるんだよな。
自分の正体を自覚してない状態で生きてるワケだから、ストレスの原因も分らないし対処法も分らない。
「私は自分の事しか考えてない畜生ばりの人間なんだな」と知った上で他人に気を使った方が健康的なんだよな。
そういう生き方を、どーにかして気付かせようと努力する映画監督の存在が常に必要だよなホント。
長くなるから〆る。
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