1、スポンサーのリスクを回避する臆病さ
たとえば、昔のVシネは3本駄作でも1本傑作でペイできれば良いという感覚。
今は予算内に納めよう、赤字にならないようにしよう、と無難なものを作る。
アメリカ、中国はハイリスクハイリターンで作る。
海外は才能に投資するという考えが強い。
今の日本は逆。
先にスポンサーによって箱が作られて、そこに合うものを作家が作っている感じ。
2、作家の志の弱さ
いいものを作るには、携わる全員が高い力を出し合って拮抗する必要がある。
創作に携わる人なら皆「作家たるものそうあるべきだ」と想ってはいるけど
それを実践するのはとてもしんどい事。
なので志を曲げて、やりがいより待遇、生活を取っている。
つまり、作家が先に作られた箱からはみ出そう、戦おうとしていない。
その現状は↓を見れば解る。
https://www.facebook.com/kazuaki.kiriya/posts/102004915... 3、客の心の狭さ
若い頃、心が広い頃に見たものを基準としていて、
西部劇とは、時代劇とは、映画とはこういうものだ。などと感性をそこで止めている。
そうして心が狭くなった精神的老人が、その基準、箱からはみ出るものを拒絶する。
大河ドラマを見た知事が「画面が汚い」と言ったり、
「CGよりパペットの方が迫力がある」と言ったり、
コクリコ坂を見て「こんなのジブリじゃない」と言ったり、
人気原作のドラマ化、リメイクなんかをすると「こんなの○○じゃない」と言う。
更に作品を見てもいないのに批判する場合も多い。
客の意見は次の作品の参考にされるわけだから、
スポンサーは赤字を恐れて、心が狭い客に媚びた企画、箱が作られる。
若い頃のように作品を楽しむ能力を失った精神的老人
(この板にも沢山いる人達)も、質を下げている一因なのです。
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