〜ノット・クワイト・ハリウッド〜(規制が緩く、無法地帯と化していた当時のオーストラリア映画界ドキュメンタリー)より
・死者数は0(当時は“死者が出た”という煽り宣伝をしていたため、それがそのまま定説になってしまった)
・撮影は無許可=道路は勝手に封鎖し無許可撮影(警察が来ると撮影クルーは一斉に逃走)=当時は珍しくない光景だった。
・190km/hのグースのバイクの後部座席に座り、ノーヘル&Tシャツ1枚で撮影するなど、人命軽視の撮影が当たり前だった。
・交通事故の多い現地であったことから、監督は救急車の仕事で稼いだ金を撮影費用の足しとした。
・1作目で「手錠か足を切らせる」というラストの演出は、ホラー映画『SAW』に影響を与えた。
・ナイトライダーの事故シーンは本物のロケットエンジンを積んで爆走させ、吹き飛ばした
・スタントマンは骨折者が続出。
・なぜ映像に迫力があるのか、については、地上15cmで左右に激しく動かすという監督独特の撮影手法によるものが大きい。
・当時はあまりにも過激な内容だったため、インドでの批評は“製作者を処刑しろ”。
・当時の類似作品では、実弾で被弾、爆発の破片で危うくカメラマンが死亡など、命懸けの撮影がまかり通っていた
(類似系暴力映画では死者が3人出ている)
・タランティーノ監督作『キル・ビル』や『グラインドハウス』など、突然起き上がって唾を吐く場面や車のフロント縛り付け場面などはこの作品から影響された場面である。
・オーストラリア映画にはブームがあり、エロ、グロ、ゾンビ、暴力…〜と、様々なジャンルを定期的にジャンクフードのように提供する流れがあった。
その流れの中の“暴力ブーム”内に於いて、数々の作品群の中でマッドマックスのみが鬼気迫る迫力と傑作臭を放っており、
単なる低俗娯楽消化作品として鑑賞していた観客達から“これだけは本物の映画作品なのでは…”との高評価ムーブメントが起こり、
その評価は世界に広がり現在に至る。
・あまりに凄惨で低俗だった当時の撮影環境は、皮肉にも厳しい規制を促すきっかけとなってしまい、今現在のオーストラリアでは当時のような過激な手法による撮影は極めて困難である。
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